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提供: 北海道旧土人保護部落戸口表(明治5年)コタンの研究
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コ
現在も苫小牧市美原町の錦多峰川の河口で儀式をやっているので、この辺りか?  +
* バチラー夫妻記念教会堂 * 有珠(うす)コタンの中央の丘に建っていた * 児童は、有珠第二小学校に通学 * 明治36年(1903年)設立、大正10年(1921年)3月閉校、有珠第一小学校に統合   +
平取町立二風谷小学校  +
北海道殖民地区画図 チノミ原野(明治35年(1902年)) <br />[[ファイル:Ainu_map_chinomi.png]]  +
第二伏古小学児童通学区域図 [[ファイル:Ainu_map_fushiko.png]] 国道38号沿いに史跡標示板がある  +
* 毛根(けね)、芽室太(めむろぶと)の2箇所   +
* 史標「音更コタン跡」がある。 * 明治20(1887)年から明治21(1888)年にかけて、北海道庁が散在するアイヌ民族を半ば強制的に移住させてつくったコタン。   +
* 愛牛コタン旧墓地 * 1934年(昭和9年)10月下旬、北海道帝国大学(現・北海道大学)の児玉作左衛門教授らによって、愛牛コタンの墓地が一方的に暴かれ、多くのアイヌ遺骨を持ち去る。   +
* 明治16年(1883年)根室県が、足寄郡4ヶ村のアイヌ18世帯に対し、足寄村への移住を強制。 * 給与地は足寄川沿いにあった。 北海道殖民地区画図 足寄太原野(明治32年(1899年)) [[ファイル:Ainu_map_nakaashoro.png]]   +
* 白糠第二小学校(廃校) * バス停「西本通」周辺 [[ファイル:Ainu_map_shiranuka.png]]   +
* コタンは庶路川の太平洋岸川口にあった。 * 明治32年(1899年)旧土人保護法により、太平洋岸から10㎞程上流にある泊別(とまりべつ)の大野農場の南側に隣接する給与地に20戸程のアイヌが強制移住させられる。 * 元秩父困民党大隊長の飯塚森蔵は給与地外の大野農場側の庶路川べりに潜伏していた。   +
「古潭橋」周辺  +
「上徹別地蔵堂」の周辺  +
明治18年(1885年)釧路の茂尻矢(もしりや)アイヌ27戸138人が下雪裡に強制移住 北海道殖民地区画図 ホロロ原野雪裡原野(明治27年(1894年)) [[ファイル:Ainu_map_shimosetsuri.png]]  +
アンデレス学校之跡  +
北海道殖民地区画図 虹別(明治38年(1905年)) [[ファイル:Ainu_map_nijibetsu.png]]  +
* 屈斜路コタンアイヌ民族資料館 * 屈斜路湖南岸や弟子屈(てしかが)にコタンがあったが、御料農地となった為に強制移住させられた。 北海道殖民地区画図 ビルワ原野(大正2年(1913年)) [[ファイル:Ainu_map_kussharo.png]] 屈斜路コタン [[ファイル:Ainu_map_kussharo_2.png]]   +
* 下付地(給与地)は、和人と共用の開発地 * アイヌ神楽 * 別寒と略されることがある * 糸魚沢の辺り * 児童の通学は、菊池小学校(後に糸魚沢小学校)と思われる。   +
烏通は、鳥通の誤記。(烏(カラス)ではなく、鳥(トリ))  +
明治28年(1895年)アイヌ人は主に東部幌茂尻に住んでいた。  +