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提供: 北海道旧土人保護部落戸口表(明治5年)コタンの研究
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* 明治45年(1912年)5月、山火事によりアイヌコタン20戸余りが罹災し給与地に移転している。
* 明治45年(1912年)5月、山火事によりアイヌコタン20戸余りが罹災し給与地に移転している。
* 美幌外五ヶ村戸長役場やコタンは、閉館した美幌ユースホテルのある丘にあった。
* 美幌外五ヶ村戸長役場やコタンは、閉館した美幌ユースホテルのある丘にあった。
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<br/>網尻郡 各村の戸数(明治6年(1873年))
* 網尻郡 各村の戸数(明治6年(1873年))
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** 美幌(びほろ)4戸22人
  <tr>
** 杵端辺(けねたんべ)2戸6人
    <th>村名</th><th>読み</th><th>戸数</th><th>人口</th>
** 古梅(ふるうめ)3戸16人
  </tr>
** 活汲(かつくみ)3戸14人
  <tr>
** 達媚(たつこぶ)5戸32人
    <td>美幌</td><td>びほろ</td><td>4</td><td>22</td>
** 翻木禽(ぽんききん)1戸8人
  </tr>
 
  <tr>
 
    <td>杵端辺</td><td>けねたんべ</td><td>2</td><td>6</td>
北海道殖民地区画図 美幌原野(明治38年(1905年))
  </tr>
  <tr>
    <td>古梅</td><td>ふるうめ</td><td>3</td><td>16</td>
  </tr>
  <tr>
    <td>活汲</td><td>かつくみ</td><td>3</td><td>14</td>
  </tr>
  <tr>
    <td>達媚</td><td>たつこぶ</td><td>5</td><td>32</td>
  </tr>
  <tr>
    <td>翻木禽</td><td>ぽんききん</td><td>1</td><td>8</td>
  </tr>
</table>
<br/>北海道殖民地区画図 美幌原野(明治38年(1905年))
<br/>[[ファイル:Ainu_map_bihoro.png]]
<br/>[[ファイル:Ainu_map_bihoro.png]]
  | 地誌 =  
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2026年5月12日 (火) 08:46時点における版


コタン情報
ID 062
支庁 網走
町村名 美幌町
部落名 第六區コタン
読み
現在地 北海道網走郡美幌町元町31
戸口・土地
戸数 32
男 56
女 49
計 105
給与地面積 1393.62
同上開墾面積 698
開墾不能地積 57.11
互助組合の有無 有
位置情報
座標 43.823517266201726, 144.09249892641174
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調査メモ

手がかり

  • 明治24年(1891年)、美幌外五ヶ村戸長役場の戸長であった鹿児島県出身の野崎政長が、6ヶ村に散在するアイヌ民族を役場周辺で暮らすよう諭し集住させた。
  • 役場周辺のコタンとは別に後に野崎と呼ばれる地区に給与地があった。
  • 明治45年(1912年)5月、山火事によりアイヌコタン20戸余りが罹災し給与地に移転している。
  • 美幌外五ヶ村戸長役場やコタンは、閉館した美幌ユースホテルのある丘にあった。
  • 網尻郡 各村の戸数(明治6年(1873年))
    • 美幌(びほろ)4戸22人
    • 杵端辺(けねたんべ)2戸6人
    • 古梅(ふるうめ)3戸16人
    • 活汲(かつくみ)3戸14人
    • 達媚(たつこぶ)5戸32人
    • 翻木禽(ぽんききん)1戸8人


北海道殖民地区画図 美幌原野(明治38年(1905年))

地誌

備考