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提供: 北海道旧土人保護部落戸口表(明治5年)コタンの研究
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  | 座標 = 43.79053206072968, 144.53005990162342
  | 座標 = 43.79053206072968, 144.53005990162342
  | 現在地 = 北海道斜里郡清里町神威
  | 現在地 = 北海道斜里郡清里町神威
  | 手がかり = 札弦市街、札弦川沿い(緑・清泉・青葉の辺り)にアイヌが住んでいたようである。
  | 手がかり =  
  | 地誌 = 清里町史
* 札弦(さっつる)市街、札弦川沿い(緑・清泉・青葉の辺り)にアイヌが住んでいたようである。
<br/>[https://dl.ndl.go.jp/pid/9570053/1/37 46頁] 文化年間のころ神威九線の斜里川流域にアイヌ数戸が来往し生活を営んだ
* 文化年間のころ神威九線の斜里川流域にアイヌ数戸が来往し生活を営んだ。
<br/>[https://dl.ndl.go.jp/pid/9570053/1/37 47頁] 番屋は斜里川と札弦川の合流から六キロほど隔った付近にあったと推測
* 番屋は斜里川と札弦川の合流から六キロほど隔った付近にあったと推測。
<br/>[https://dl.ndl.go.jp/pid/9570053/1/52 76頁] 文政年間からアイヌ10戸ほどが神威九線20号の斜里川流域に居住
* 文政年間からアイヌ10戸ほどが神威九線20号の斜里川流域に居住。
<br/>[https://dl.ndl.go.jp/pid/9570053/1/53 78頁] 札弦川の川べりにアイヌ人が住んでいた
* 札弦川の川べりにアイヌ人が住んでいた。
  | 地誌 =  
* [https://dl.ndl.go.jp/pid/9570053/1/37 清里町史 46頁]
* [https://dl.ndl.go.jp/pid/9570053/1/37 清里町史 47頁]
* [https://dl.ndl.go.jp/pid/9570053/1/52 清里町史 76頁]
* [https://dl.ndl.go.jp/pid/9570053/1/53 清里町史 78頁]
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2026年5月12日 (火) 01:46時点における最新版


コタン情報
ID 065
支庁 網走
町村名 小淸水村
部落名 札鶴
読み さっつる
現在地 北海道斜里郡清里町神威
戸口・土地
戸数 1
6
2
8
給与地面積
同上開墾面積
開墾不能地積
互助組合の有無
位置情報
座標 43.79053206072968, 144.53005990162342
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調査メモ[編集]

手がかり[編集]

  • 札弦(さっつる)市街、札弦川沿い(緑・清泉・青葉の辺り)にアイヌが住んでいたようである。
  • 文化年間のころ神威九線の斜里川流域にアイヌ数戸が来往し生活を営んだ。
  • 番屋は斜里川と札弦川の合流から六キロほど隔った付近にあったと推測。
  • 文政年間からアイヌ10戸ほどが神威九線20号の斜里川流域に居住。
  • 札弦川の川べりにアイヌ人が住んでいた。

地誌[編集]

備考[編集]