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提供: 北海道旧土人保護部落戸口表(明治5年)コタンの研究
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* 朱円は、読みが「しゅえん」に変わり、朱円・朱円西・朱円東に地区分割されている。
* 朱円は、読みが「しゅえん」に変わり、朱円・朱円西・朱円東に地区分割されている。
* 土人保護地(給与地)は、羅萠(らむい)であったが、ドロの木が売れて金になるので、ドロの木がある東朱円を希望した。
* 土人保護地(給与地)は、羅萠(らむい)であったが、ドロの木が売れて金になるので、ドロの木がある東朱円を希望した。
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<br />斜里郡 各村の戸数(明治10年(1877年))
* 斜里郡 各村の戸数(明治10年(1877年))
<table class="wikitable">
** 斜里(しゃり)38戸150人
  <tr>
** 朱円(しゅまとかり)2戸9人
    <th>村名</th><th>読み</th><th>戸数</th><th>人口</th>
** 遠音別(おんねべつ)7戸27人
  </tr>
** 止別(やんべつ)5戸24人
  <tr>
** 蒼瑁(そうまおい)2戸7人
    <td>斜里</td><td>しゃり</td><td>38</td><td>150</td>
 
  </tr>
北海道殖民地区画図 アッカンペツ((明治38年(1905年))
  <tr>
[[ファイル:Ainu_map_higashi-shumatokari.png]]
    <td>朱円</td><td>しゅまとかり</td><td>2</td><td>9</td>
  </tr>
北海道北見國斜里郡殖民區画地圖 ((大正3年(1914年))  
  <tr>
[[ファイル:Ainu_map_higashi-shumatokari_2.png]]
    <td>遠音別</td><td>おんねべつ</td><td>7</td><td>27</td>
  </tr>
  <tr>
    <td>止別</td><td>やんべつ</td><td>5</td><td>24</td>
  </tr>
  <tr>
    <td>蒼瑁</td><td>そうまおい</td><td>2</td><td>7</td>
  </tr>
</table>
<br />北海道殖民地区画図 アッカンペツ((明治38年(1905年))
<br />[[ファイル:Ainu_map_higashi-shumatokari.png]]
<br />
<br />北海道北見國斜里郡殖民區画地圖 ((大正3年(1914年))
<br />[[ファイル:Ainu_map_higashi-shumatokari_2.png]]
  | 地誌 =  
  | 地誌 =  
* [https://dl.ndl.go.jp/pid/3003585/1/265 斜里町史 484頁 造材業と農家]
* [https://dl.ndl.go.jp/pid/3003585/1/265 斜里町史 484頁 造材業と農家]

2026年5月12日 (火) 09:49時点における最新版


コタン情報
ID 064
支庁 網走
町村名 斜里村
部落名 東朱内
読み ひがししゅまとかり
現在地 北海道斜里郡斜里町峰浜
戸口・土地
戸数 21
男 39
女 52
計 91
給与地面積 1751.72
同上開墾面積 1054
開墾不能地積 250
互助組合の有無 有
位置情報
座標 43.931002895326706, 144.79555259396307
Googleマップ(航空写真)で見る

調査メモ[編集]

手がかり[編集]

  • 東朱内は、東朱円の誤記。
  • 朱円の東側。東朱円は、峰浜(みねはま)に地名変更されている。
  • 朱円は、読みが「しゅえん」に変わり、朱円・朱円西・朱円東に地区分割されている。
  • 土人保護地(給与地)は、羅萠(らむい)であったが、ドロの木が売れて金になるので、ドロの木がある東朱円を希望した。
  • 斜里郡 各村の戸数(明治10年(1877年))
    • 斜里(しゃり)38戸150人
    • 朱円(しゅまとかり)2戸9人
    • 遠音別(おんねべつ)7戸27人
    • 止別(やんべつ)5戸24人
    • 蒼瑁(そうまおい)2戸7人

北海道殖民地区画図 アッカンペツ((明治38年(1905年))

北海道北見國斜里郡殖民區画地圖 ((大正3年(1914年))

地誌[編集]

備考[編集]